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ヒューマンデザイン・アナリスト 市川丈夫のBlog

【夢日記】掃除を終えてラウンジへ

Hotel lounge - Dallas

昨夜の夢は、学校の年末大掃除だった。なんとなく年末大掃除に参加するのも3回目(3年目)のような気がした。校舎の外では、先生が生徒を集めて指示を出していたが、僕はそれには加わらず、一人勝手にトイレを掃除したり、ビデオテープが並んだ棚を整理していた。そのうち頭の中で「後に大事件となるこの秘密を、僕はこの時からもう知っていた」というセリフが浮かんできたが、さっぱり意味不明である。

掃除も終わって歩き出すと、校内には広いラウンジがあった。その席はびっしり人で埋まっていたけれど全員、硬直したように座っているだけで、ちょっと不気味だ。

僕が「掃除も終わったし、もう出歩いても、遊んでもいいんじゃねーの?」とつぶやくと、タレントの優木まおみさん似の女性が近づき「それはだめ。(昔いたナントカ)さんもどーのこーの」と僕を心配してくれて……目が覚めた。04:57。

ドリームブック 夢辞典(改訂増補新版)

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まず夢の中の「掃除」は、感情の浄化を表しています。「学校」という学びの場全体が浄化のプロセスにある中、僕は単独でそれをやっていると。「トイレ」=過去の体験の浄化、「ビデオ=映画」=自分の人生だそうです。たしかに自分の過去は、みんなで協力して癒やすより、一人孤独になって癒やす方がいいかも。そのプロセスを経る中で「秘密」=認めたくないもの、気づこうとしていないものに気づけるかもしれません。「年末」なので、ひとつのプロセスの終わりに差し掛かっている気もいたします。「3回目(3年目)」はなんだろう……ヒューマンデザインを勉強し始めて3年経ち、4年目に入りましたけどそれですかねえ。

昨日の夢では「バックステージ」「駅のホーム」と待つ場所が出てきましたが、今日の「ラウンジ」も待合室ですね。そこから出て行って自由になろうとすると止められる。でも制限されると言うより、心配されたので、ここは夢からのアドバイスに従った方がいいかも。昨日の夢もそうですが、プロセスの終わりに近づいてはいるけれど、まだ進む時ではない。まだ、待つ時期なのでしょう今は。

【夢日記】バックステージとプラットホーム

backstage

昨夜の夢。僕は、コンサートかライヴに出演するため、地下鉄で目的地の駅に着いた。そのコンサートの規模は、なにかの記念で、盛大に催されるらしい。僕も興奮して前夜はなかなか寝付けなかったが、そのせいか地下鉄の車内で眠りこんでいた。集合時間の一時間前だし、まだ寝てても大丈夫だろうと。そこへ誰かがやって来て「もう友達は8階にいるよ」と教えてくれた。 階段を上がって8階に行くと、そこがバックステージになっていて、僕は「6/2」と書いてある受付で、中身が半分しか入っていないミネラルウォーターを受け取り……目が覚めた。05:05。

Curved Platform

そこから二度寝して、また夢を見た。今度は、知り合いの編集者と一緒に地元駅(JR総武線)に向かっていた。僕は駅前に自転車を停め、編集者たちと駅のホームへ上がっていった。すると編集者が「北千住行きに乗るから」と言う。いやいや総武線に北千住行きなんて無い。ホームの時刻表を見ても、北千住行きなんて無い。ホームには次々電車が入線してくるが、いつまで経っても北千住行きなんて来ない。僕は、編集者たちから離れ、一人でホーム際に立ち、北千住行きじゃなくてもいいから、とにかく上り電車を待つことにした。ホームからは野原が見え、その野原を横切って、どんどん人がホームにやって来る。改札も通らず、自由気ままに。さらにサンタクロースがソリに乗って走り出すのも見えた。そのうちホームに置かれたテーブルに、妙にお洒落な料理が並び、僕はそれを見知らぬ人たちと相席で食べ始め……目が覚めた。07:34。

ドリームブック 夢辞典(改訂増補新版)

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2つの夢に共通するのは「駅」=組織内での仕事のチャンスを得る場所、ですね。「地下鉄を降り」「自転車を降り」たので、方向性ややり方が変わるのかも。「階段を上る」「ホームへ上がる」はどちらも正しい方向へ向かうことですが、「バックステージ」も「駅のホーム」も、待つ場所なんですよね。そしてバックステージのある階数「8」は宇宙意識や無限を表す数字、「6/2」は、ヒューマンデザインで言うところの、僕のライフスタイルを表す数字です。あ、6と2を足しても「8」ですな。完成を表す「9」の一歩手前とも読み取れます。

誰かに言われた来もしない電車(北千住行き)を待ってもしょうがなく、自分の乗りたい電車に乗りたいタイミングで乗れってことでしょうか。その間に見た「野原」はリラックスすること、「サンタクロース」は贈り物を意味するそうです。出された食事も贈り物っぽいので、待つこと自体をギフトだと思って、その時間をリラックスして過ごし、滋養を付けなさいってことかなと。「コンサート=音楽」は、癒やしや喜びだそうなので、 最終ゴールはそれなのでしょう。恐らくもう完成の一歩手前まで来ているから、今は焦らず、のんびり待てという夢ですかね。バックステージから表舞台に出るのは、もうちょっと先のようです。

「ロジャース クライエント中心療法」

ロジャーズ クライエント中心療法 新版 --カウンセリングの核心を学ぶ

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心理学者カール・ロジャースのカウンセリング手法に興味が沸いたので、入門書的な「クライエント中心療法」を購入。自分はセラピストではありませんが、ヒューマンデザインを通じて他人から相談をされることもあるので、触れておきたいなと。

中でもグループ・セラピーにおいて「自分の本当の感情を表現するために、日常かぶっている社交的な仮面を脱ぐプロセスがある」というのが興味深かったですね。

ヒューマンデザインで見ると、僕の人生のキーワードは「仮面」です。「仮面を付けて人生の役割を演じきる」「仮面を付けた相手と出会う」「相手の仮面を剥がし、自分の仮面も剥がされる」と言われています。たしかに自分は、感情を露わにすることは滅多に無く、仮面を付けているのかもしれません。しかも「仮面を付けることに罪悪感は無く、他に選択の余地はない」とも言われているので、こうして生きるしかなかったのでしょう。ただいつか、仮面を外して自分の感情を吐露する時が来るのかな、それが自分のセラピーに通じるのかな、とも考えたり。

ユング心理学入門―“心理療法”コレクション〈1〉 (岩波現代文庫)

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まあ心理学的に、もっと「仮面」というタームを探求するなら、ユング方面でしょうか。自分がどのような「仮面」=ペルソナという衣装を付け、それによってどんな役割を期待されるのか……それが50歳前後の転機で、明らかになるのかもしれません。

【ヒューマンデザイン】50歳(前後)でぶっ壊れる人

crash 11

ヒューマンデザインでは、人間は50歳前後で人生の転機を迎える、と言われています。 若いうちにいろいろと経験する中で自分の未熟な部分を知り、30~40代で成長し、50歳前後で成長できたかどうか試される、というイメージですかね。この50歳での転機を、創始者ラー・ウル・フーは「これはテストではない」と言い遺していますが、いやいや、かなりテストっぽいぞとも感じています。なぜならこの転機において、自分の弱点に対処できなかった人は「ぶっ壊れる」とも言い遺しているからです。

ラーはそれを「Crash」と表現しています。つまり単なる「Breakdown(故障)」では済まないような、派手にぶつかって粉々に砕けたり、人間として修理不能な状況に陥るのではないかと。50歳にもなって、自分の弱点に向き合わず、自分の問題にも対処しないなら、転機というテストから逃げた報いとして、心身が壊れてしまうのかもしれません。

この転機が訪れる年齢は(個人差があるものの)だいたい45~55歳あたりです。僕自身ももうその期間にありますし、人間としてぶっ壊れるのは嫌なので、なんとか自分の弱点に対処したいと思っています。ラー曰く「17歳の時に経験したのと同じことを52歳になって経験する」ようなものだそうで、はて若い頃に自覚した自分の弱点ってなんだろうと考えもしていますが、はて……

crashed

そして「人は50歳(前後)でぶっ壊れるかもしれない」という目で周囲を見てみると、たしかに壊れたように見える、50歳前後の人が何人か思い当たります。最近、薬物で逮捕された元プロ野球選手と元俳優も50歳前後だったので、むむ!と思ったり。

もちろん、その因果関係を証明するものは何もありません。単なる依存症だったり、更年期障害などの現れなのかもしれません。

しかし50歳近くなって突然、よくない人間関係や薬物に依存したり、非現実的な考えに支配されてしまったり、善悪の判断がつかなくなったり、他人とのコミュニケーションが取れなくなっている人がいたなら、それは自分の弱点から逃れ続けたあげく、そのツケを被って、ぶっ壊れた人なのかもしれません。

去年あたりから、世の中の「厄介な人」「中身が5歳児の大人」について気になっているのも、それらの人々がヒューマンデザイン的に言われる「ぶっ壊れた人」なのではないか?とも思っているのです。他人事ではなく、50歳に向かっている僕自身も壊れる可能性がある、という前提で……

 

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 ご希望の日時・場所についてのご相談は、

 お気軽にtakeo.ichikawa@gmail.comへご連絡ください。

【夢日記】久しぶりの雑誌と山風蟲(さんぷうこ)

BURRN! (バーン) 2016年 08月号

BURRN! (バーン) 2016年 08月号

 

昨夜の夢。僕は、以前購読していた音楽雑誌「BURRN !」を眺めていた。久しぶりに新譜情報のページを見てみると、レビューが一行しか書いていない。他の記事も内容がスッカスカだ。どうやら編集者が辞めたりなんだりで、制作サイドにやる気が無くなってしまったらしい。うーん、しばらく見ないうちにこんなことになっていたのか……と思ううち目が覚めた。01:50。

夢の中の「雑誌」は、人生の短い一部分だそうです。かつて慣れ親しんだ人生のヒトコマに再会したら、すっかり様子が変わっていた……ということがあるのでしょうか。あるいは、誰かに再会したら、すっかりモチベーションが落ちていたとかね。

昆虫記 (写真記シリーズ)

昆虫記 (写真記シリーズ)

 

そこから二度寝すると、また別の夢を見た。今度は、教室のような場所にいて、理科の実験なのか、目の前にはウジ虫のような小さな蟲が、びっしり実験器具?のようなものにたかっている。僕は嫌だなあと思いつつも、それを処理すべく、蟲のたかった器具を手でつかみ……目が覚めた。03:28。

夢の中の「教室」は、学びの場。「蟲」はちょっと迷惑なこと、「ウジ虫=腐る」は否定的な考え、自分の否定的な部分だそうです。ものごとを学ぶためには、まず自分の否定的な考えを処理しなさいってことですかね。

ただ、夢の映像から連想したのが、『易経』の「山風蟲(さんぷうこ)」なんですね。ものごとが、蟲によって腐ってしまい、腐敗が極まったところで処理する、という卦があるのです。ヒューマンデザイン的に見ても、僕はこの「山風蟲」の位置に星が入っており、ちょうど今日の未明から月もこの「山風蟲」に入っています。

先の「やる気のない雑誌」の夢と併せて考えると、なにかと再会したら、腐りきってモチベーションが落ちていた、それを処理する必要がある……ということかもしれません。それを処理する際、ウジ虫に触るような嫌悪があったとしても、学びのためにやらなきゃいけないかもしれませんねえ……

【日常】ハニーコールドで一服

https://www.instagram.com/p/BHrM9XIgU2m/

今日は夕方、投票に行き、その足でぶらり市川の麻生珈琲店へ。まだまだ暑かったので、ハニーコールド(蜂蜜入りアイスコーヒー)で一服してきました。午前中にヒューマンデザインの資料翻訳も進んだし、なんとなく「夏休みの宿題は涼しいうちに」を実行している感もあり。穏やかで、充実した一日でした、はい(^_^)

【夢日記】みんなで映画を探しに行く

Hindu Silhouette

昨夜の夢。僕は、街のあちこちに隠された映画のビデオ/DVDを探す、という都市オリエンテーリングみたいなゲームに参加していた。1チームは6~7人で構成され、チームメイトは(実際には知らない人ばかりだけど)親しい仲間ばかりで「これならうまくいくよね」と話ながら、次々、目当ての映画を発見していった。けれど途中で「どうして良い天気なのに、こんなことしているんだろう……」と疑問に思いながら。

そして探す映画も残り2本、となったところで、僕たちのチームは見知らぬ街にたどり着いた。たしかこの街にはレンタルビデオ屋さんが2軒あるから、そこに隠されているかもしれないと言いつつ、そのうちの1軒に入ろうとした。しかしその建物の入り口は狭く、身体を折り曲げながら、やっとの思いで中に入り、探索を開始した。その後も夢は続いたような気がするが、あまり覚えていない。05:08。

ドリームブック 夢辞典(改訂増補新版)

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夢の中の「映画」は、自分の人生を意味するそうです。となると、自分の人生を見つけるには協力してくれる仲間が必要ってことでしょうか。そして人生の大部分は見つかったけど、最後の2本が見つかっていない。あるいは最後の2本のうち、ようやく1本にたどり着いたとか?その1本には、狭くて困難な道を通らなければたどり着けない、とかね。

ヒューマンデザインでも「人生は映画のようなものだし、あなたは人生に起きることを観客のように眺めればいい」とも言います。そろそろ僕の映画も、新しいシーンが始まるのかもしれませんね。