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ヒューマンデザイン・アナリスト 市川丈夫のBlog

【ヒューマンデザイン】同じ日時に生まれたとしても

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今日は東京スカイツリーのお膝元、ソラマチにてパートナーシップのリーディングをしてきました。この写真を撮っていた朝の内は快晴でしたが、午後から荒れるとの予報で、早めに帰宅。予報通り午後は雨風が強く吹き、帰ってきて正解だったなと。本当は都心までネクタイを買いに行きたかったのですが、いずれまた。

さて今日のリーディングは、なかなか手こずりました。チャートから予想した人物像と、クライアントさんからお聞きする人物像がちょっと噛み合わず。もしかしてどこかに見落としがあるのでは……と思いつつ帰宅後、テキスト読み直したり、ホロスコープも出してサビアンの度数も確認したところ、ようやく腑に落ちました。どうやら元々のデザインを隠すかのように、修練を重ねて弱みを克服された方だったようです。話をお伺いするに、ちらちらと本来のデザインは見えていたのですが、なるほど勉強になりました……

様々な占いや人物分析に対して良く言われるのが「誕生日が同じなら同じ人間になるのか」と云うこと。ヒューマンデザインの分析では生年月日、出生時間、生まれた市町村まで必要となりますが、やはりそれらのデータがすべて同じなら、同じデザインになってしまいます。

ただ、ここがヒューマンデザインの面白いところ、かつ僕自身が強く惹かれた部分なのですが。たとえ同じデザインを持って生まれてきても、その後で受けた家族からの影響(条件付け)、自分で身につけた部分、自分のデザインを健康的に生きているか、不健康に生きているかによって、その人物像は千差万別となり、一人として同じ人間はいないことになるのです。

このあたり運命論や、以前書いた量子論とも関連付けられますが、生まれ持ったその人のデザイン=おおまかな運命は定まっているけれど、実際に人生をどう生きるか、どんな人間として生きるかについては結構自由が効く……と解き明かしたのがヒューマンデザインではないかと思うのです。

ヒューマンデザインには「人はもっと許される」と云う言葉があり、僕はそれが大好きです。人は、自分の弱みに悩み、生きることに制限を付けてしまいがちです。しかし運命や個性、社会の常識と呼ばれるもの、自分や他人の思考……それらすべてに束縛される必要はなく、むしろ自由に、自分らしく生きれば、自然と生まれ持った運命に近づいていく、と言われています。今日のパートナーシップ・リーディングでは、御自分のデザインの弱みと向き合い、そこにかなりの修練を積んだ方を拝見しましたので、いろいろとそんなことを思ってしまいました。

人のデザインは、解析ソフトにデータを打ち込めば瞬時に出せます。しかしそのデザインと、実際の方の間にどんな差異があるのか、何が原因でその差異が生まれたのか、その差異は健康的なのかそうでないのか、を解き明かすことはなかなか難しいものです。その分、やり甲斐も感じていますし、ますますヒューマンデザインが面白くなってきた今日この頃です。