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作家 ヒューマンデザイン・システム認定プレアナリスト+LYDガイド 市川丈夫のBlog

加藤諦三「自分のうけいれ方」

自分のうけいれ方 競争社会のメンタルヘルス(PHP文庫)

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【この記事は2016年2月に改稿しております】

先日書いた「5歳児の大人」についてPart.2。

僕の観測範囲内でのお話ですが……自分が5歳児だと認めていない・気づいていない人は、無理に大人びたことをしますね。やけに背伸びをして、大きなことをしようとする。大きな成果を上げれば大人だと認めてもらえると信じ込んでしまうんですよ。皆さんの周囲にもいませんか? 成果を求めて大風呂敷を広げたはいいけれど、小さなことには価値を見いだせないから、こつこつとした努力や根回しをしない。当然、企画は地に足がつかないものになり、たいした結果も出せずに終わる、とかね。

でも本当の大人は、自分の身の丈を分かってるから、大風呂敷は広げないんですよ。今の自分はここまでやれる、ここから先はちょっとキツいから努力が要る、と客観的に分析できる。それは自分の枠を狭める行為ではなく、自分は万能な人間ではないと認めること。今は80の力を持っているから、次は90に挑戦しようという現実性。いきなり300や500を目指さない。まず81、82、83と自分の力を無理なく伸ばすことに楽しみを感じ、それを苦に思わない。それをこつこつ続けていたら、いつの間にか120になっていた、なんてこともあると思います。

500の結果が出せなくてもそれはそれで仕方ないし、90まで到達できなくてもそれを糧にまた前に進めばいい。何かしら教訓を得たなら、失敗も失敗でなくなる。失敗したからって自分の価値が下がるわけじゃなし、「だめだったよー」と笑って周囲に言える度量があると思うんです。

ところが「5歳児の大人」は、それができないんですよ。300や500の価値がないと意味がないと思ってしまう。だから90の結果が出ても不満だし、それすら到達できなければ恥ずかしくなって、広げた大風呂敷を無かったことにしようとする。

僕の知り合いでも「イチローは凄い」「羽生結弦くんは凄い」と超一流のスポーツ選手を褒める方がいます。確かにそうなんだけど、その一方で2位・3位以下の選手を「あいつは1位じゃないからダメだ」「なってない」とこき下ろすんですね。超一流でないと価値を認めないんですよ。

僕は、2位でも3位でも二軍の選手でも、何かしらその人には価値があるだろうと思うんです。実績は振るわなくても人格的に素晴らしいとか、選手としてはイマイチだったけど指導者や監督として大成するかもしれない。あるいは全然別の業種……テレビタレントになって多くの人に愛されたり、会社を興して立派な経営者になるかもしれない。逆に言えば、選手としては超一流でも人格的に最低な人がいてもおかしくない。でも「5歳児の大人」はそういう見方ができないんでしょうね。

その結果、「5歳児の大人」は自分のモノの見方に縛られるんですね。超一流じゃないと意味がない。だから300や500の結果に憧れる。でもそんなもの、滅多に出せるものじゃないし、こつこつとした練習や努力が必要になる。でもそれはやらない。一足飛びに結果が欲しい。周囲が「今はまだ無理じゃない?」と諭しても、妙なポジティヴシンキングを発揮して「いや、俺は自分に制限を設けない」とか言って無謀な挑戦をしてしまう。使えもしないのにプロ用の道具を買ったり、読めもしない難解な専門書を買い込んだり。むしろ理想へのハードルが高すぎてプレッシャーになったり、逆方向に振り切れて「どうせ1位にはなれない。だったらやる意味がない。だからやらない」と拗ねたり。

そして結果が出ないと、大風呂敷を無かったことにするため、イイワケをするんですよ。「俺ができなかったのはあいつのせいだ」「先生が悪かった」「道具が悪かった」うんぬんと。そうやって未熟な自分をカモフラージュすれば、自分の価値は落ちないと思っている。でも本当の大人は、そんなイイワケを聞いて「ああこの人、5歳児だな」「自分をうけいれてないな」と見抜いてしまう。

ヒューマンデザイン―あなたが持って生まれた人生設計図

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ヒューマンデザインの大きなテーマとして「Love Yourself=あなた自身を愛してください」という言葉があります。これは「自分のダメに思える部分も認めて受け容れましょう」という意味でもあるんですね。自分は万能な人間ではないし、300や500の成果を出さなくても価値はある。むしろ300や500の成果を出したからと言って、人格が最低なら認められることもない……ということに気がつけばいいんですけどね。「だめだったよー」と気楽に言えないのも辛いことだと思います、たぶん。