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作家 ヒューマンデザイン・システム認定プレアナリスト+LYDガイド 市川丈夫のBlog

「幸せになる勇気」に見る「魔法の杖幻想」

幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

 

ミリオンセラーとなった「嫌われる勇気」の続編「幸せになる勇気」を読了。前作でアドラー心理学に救われたかに見えた青年が、3年経った後、アドラー心理学に失望して再び哲人の書斎を訪れる、という幕開けです。詳細はネタバレになるので伏せますが、今回の続編も興味深く読み、いろいろと考えさせられました。

アドラー心理学に限らず「何かに心酔した後、それに失望する」というプロセスは、よくあることです。特に宗教や人生哲学、スピリチュアルな教えなどに触れ、最初は「これは素晴らしい!」と思ったものの、結局人生は好転せず、「なんだよ、効果ないじゃないか」と憤慨し、去って行く人とか。正直、僕が学んでいるヒューマンデザインに触れても、後々失望される方がいらっしゃると思います。

ではなぜ失望するのか?それは「幸せになる勇気」でも語られていますが、最初の期待が高すぎるんですね。その教えが、自分が抱えている問題をあっという間に解消してくれる魔法の杖だと思ってしまうのです。

たしかにそれらの教え(ヒューマンデザインも)は、自分の問題を解決してくれる道具なんですよ。ただし道具を手に入れただけでは問題は解決できません。その道具を使って、自分の問題、自分の心理的な病や傷に向き合う必要がある。

ところがある種の人たちは、それを無意識に嫌がるんですね。言うなれば「メスで切られるのが怖いから手術を嫌がる」「薬が苦いから治療を嫌がる」みたいなもんですかね。傍から見れば、いやいや手術したり、薬飲まなきゃ病気は治らんだろう、と思うのですが、そういう人たちは「私はもう手術用具や薬を持ってるから大丈夫~♪」と言って、そこでストップしてしまう。自分に都合のいいように教えを曲解し、もう自分は大丈夫だし、実践も出来ていると信じ込んでしまう。本当の実践段階に進まないんですね。だからいつまでも問題は解決せず、やがて教えそのものに失望してしまうと。

たしかに自分の病や傷と向き合うことは、勇気がいることです。だからこそ「嫌われる勇気」で青年もアドラー心理学を「理論は納得できても、実践がむずかしい」と言い、哲人も「劇薬かもしれない」と言う。その道具=教えを使えば、痛みや副作用があるかもしれない。けれどその痛みを恐れては、自分の問題は永遠に解決できないんです。

僕もヒューマンデザインを学んでそろそろ3年になりますが、実践段階では結構、面倒なプロセスもありました。自分の心理的な癖や傷にも目を向けてきたつもりです。なにしろここ3年で「魔法の杖幻想」に取り憑かれた人にも何人か遭遇し、あ、やっぱり実践しないと意味がないんだなと気づかされましたし。

今ではこの面倒なプロセスを「修行」と思うことにしています。ヒューマンデザインでは、人が他人からの影響を排除して本来の自分に戻るには7年かかる、と言うので、まず7年やってみようと。7年で足りなければ、さらに修行を続ければいいし、なんなら死ぬまで修行でもいいと。少なくとも自分の病や傷を放置し「私はもう魔法の杖を持ってるから大丈夫~♪」などと言って、頭の中のお花畑で踊るのだけは避けたいのです……