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作家 ヒューマンデザイン・システム認定プレアナリスト+LYDガイド 市川丈夫のBlog

「感情力」「スティグマの社会学」

感情力―自分をコントロールできる人できない人

感情力―自分をコントロールできる人できない人

 

前回触れた 「映画やドラマ等で、他人が失敗するシーンを観るのが辛い問題」を掘り下げるため、ルロール&アンドレ著「感情力」の「羞恥」の章を読んでみました。こちらでは主に、所属する集団に対し、自分が基準に達していないのでは?自分は規格外なのでは?という「気にしい」的な羞恥が語られています。なるほどその視点から考えると「他人が失敗するのを観るのが辛い」と言うより「失敗して周囲から責められる・笑われるのが辛い問題」なのかもしれませんね。

となると、集団への帰属意識が強いほど、恥ずかしさを感じるのでしょう。集団に属し、お互い似た感覚を共有できる心地良さはあるけれど、集団の空気を読み過ぎたり、仲間と自分を比較し過ぎてしまい、集団からの逸脱を恐れるとかね。

逆に、あまりその感覚が無い人は、集団への帰属意識が薄く、他者と比較することもしないのでしょう。僕自身も、どこかのグループに帰属している意識は無く、属していたとしても「人は人、俺は俺」感覚が強いのかもしれません。むしろ集団の平均的範疇に収まるよりは、トガってなんぼだと。もちろんトガることがすべて良いとも限りませんが、自然にそちら寄りを選択したのでしょう。

スティグマの社会学―烙印を押されたアイデンティティ

スティグマの社会学―烙印を押されたアイデンティティ

 

1317夜『スティグマの社会学』アーヴィング・ゴッフマン|松岡正剛の千夜千冊

その「感情力」の中で参考に挙げられていた、ゴッフマン著「スティグマ社会学」 も再読中です。失敗を、文字通り聖痕(スティグマ)と見なすか、それとも恥ずべき傷と見なすかも、所属する集団に左右されると。寛容な集団なら、失敗を笑うこともなく「一度失敗したなら、次はもっとうまくやれるさ」と勇気づけてくれるでしょう。あるいは「よくぞ失敗してくれた。お前の失敗のおかげでその道はだめだと俺たちにも分かった。ありがとう」と讃えてくれるかもしれません。

逆に不寛容な集団であれば「俺たちは完璧なエリート集団だ。だがお前はしくじった。能無しはこの集団には必要ない」と罵るでしょう。それが嫌だから失敗したくない。自分も完璧なエリート集団の一員でいたい。集団依存みたいなものですかね。そして自分のトガった個性を殺すことでもあり、完璧な自分への幻想でもあると。

本来「あれは下手だけど、これは得意」というのが個性なわけです。しかし「下手」な部分にフタをして、見ないようにし、「得意」だけに意識を向けるのもどうなんでしょうか。まあ、たとえフタをしても、いつかどこかで「下手」な部分が露わになって失敗するわけですから、自分の「失敗の可能性」に向き合うなら早い方が良いかなと思います。年を取るにつれ、軌道修正も治療も大変になりますからね……