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ヒューマンデザイン・アナリスト 市川丈夫のBlog

セーレン・キェルケゴール「死に至る病」

死に至る病 (講談社学術文庫)

死に至る病 (講談社学術文庫)

 

講談社学術文庫から新訳の「死に至る病」が出たので、学生時代以来、二十数年ぶりに再読してみました。今の自分が読むと、C章「この病(絶望)の諸形態」あたりは、ヒューマンデザインで言うところのNot-Self(不健康な状態)そのままだなあとも感じます。キェルケゴールの言う「絶望して自分自身であろうとしない」「絶望して自分自身とは別のものであろうとする」ことこそ、Not-Selfの説明そのものであり、実は世の中のほとんどの人が(かつての僕自身を含めて)そのような自己否定をして生きている、というのがヒューマンデザインの基本的な考え方でもあります。

このNot-Selfや絶望は、キェルケゴールも言うように、見た目からでは分かりにくい場合も多々あります。彼らは「もうだめだー」とあからさまに絶望しているのではなく、ごく普通に暮らし、中には社会的に成功したり、お金を沢山稼いでいる場合もあります。ところがいくら成功していても、自分自身を生きていないがゆえの苦しみが内面にあり、いつかそれが「閉じこもり」に導かれ、ひいては「自殺」に繋がるとも言うのです。

またそれとは別に「自分自身に気づいていながら、それを否定して生きる」という絶望も納得です。たとえば自己愛性パーソナリティ障害=病的なまでのナルシシストは、自分は特別な存在であり、才能があり、みんなに好かれていると信じています。ですから他の人が、その人のために何かやってあげても、それが当たり前だと思っています。逆に何かやってくれと頼まれると「なぜ自分がそんなことを」と不機嫌になったり、実際それをやれる能力が無かったりしますが、それは自分のせいではなくて、周囲のせいだと思い込んでいるのです。

ところがナルシシストが、本来の自分には才能が無かったと気づいた場合。もっと才能のある人や、もっと好かれている人がいると気づき、自分はそうでもないと知ってしまった場合。自分自身に気づいていながら、その事実を否定するでしょう。しかし本来の自分自身は厳然としてあるわけで、否定のしようもなく、結局は向き合わざるを得ない。向き合わなければ、やはり「絶望」「死に至る」と。

実際、僕が知り合った人の中にも「この人、いつになったら自分に向き合うんだろう?」「このまま自分に向き合わないと、いつか挫折して、自殺するんじゃないだろうか?」と感じる人が何人かいました。まさに死に至る病を抱えた人たちなのですが、これがまた、他人の忠告を聞くような人ではないし、他人がどうこう出来るものでもない、というのが、この「病」の一番厄介なところかもしれませんね。