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ヒューマンデザイン・アナリスト 市川丈夫のBlog

【夢日記】時空を旅するサムライ、石と泥の道

Enemy

昨夜7月19日の夢は、かなり長く記憶している。それだけ印象が強かったらしい。

まず僕は、何かの探索の旅から帰ってきたサムライという設定だった。どこかの神社に帰ってきた僕は、旅の手土産を、神主らしき人に手渡した。するとその神主は、ご褒美なのか、丸めた長い旗指物をくれた。戦国時代の足軽が背中に立てている、あの幟旗(のぼりばた)だ。それを開いてみると、真田の六文銭に似た家紋が描かれていたが、『20XX年X月XX日 なんとか記念』みたいな文字も刺繍されていて、それがやけに安っぽく感じ、僕はとてもがっかりした。

するとシーンが切り替わり、僕は学校の薄暗い廊下にいた。前方を見ると、床の暗がりから何本もの白い腕が伸び、うねうねと不気味に動いている。そして刀を持った敵らしい人物が斬りかかってきたが、僕には抗う気も無く、ただ目を閉じて為すがままにした。目を開けると、敵の姿は無く、自分の身体も無事だった。

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そして僕は、暗い校内から明るい外へと出て行った。心の中では『ああ、これで自由だ。どこへ行っても良いし、何をしても良いんだ』と痛快な気分だった。そして、どうせ自由になったんだから、思い切り伸び伸びしたイメージをしようと、頭の中に、どこまでも広がる大草原を想像してみた。ところが足下は、ごつごつした岩だらけで、裸足で歩いていた僕は、痛いなあ~と思いつつ、先へ進んだ。

Edo-Tokyo Museum

すると目の前には、やはり神社仏閣の山門のような扉が現れた。僕はそれを見て『さてこの向こうの次元はどうなってるのかな?』と、少し緊張しながら、門をくぐった。その先の世界はセピア色で、江戸時代のような街並みだったが、歩いている人は、江戸時代っぽい人あり、現代人ありという世界だった。そしてみな、僕の姿が見えないようで、近づいても、まったくこちらに気づかない。雨でも降ったのか、足下は泥ばかりだった。

そのうち遠くに、小さな森の中から、大きな木が1本そびえているのが見えた。その傍に行ってみると、大木の根元には、数人の女性がいる。その女性の一人が、手拭いを渡してくれた。その先に行ってみると、大きな露天風呂があり、大勢の人で賑わっている。そうかここは銭湯なんだなと思い、僕もひとっ風呂浴びようと、支度を調えているうちに目が覚めた。00:42。

ドリームブック 夢辞典(改訂増補新版)

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夢の中の「探索」は、成長の旅を意味するそうです。ひとつの旅が終わり、そのご褒美にもらった「旗」は、新しい変化とのこと。ただ、その変化を、僕はあまり気にくわないかもしれない。「学校」は学びの場を意味し、「敵」は心の中の葛藤を意味するんだとか。その葛藤とは、戦わず、受け容れることで、学びの場を卒業する。そこから先は自由だけれど、足下には「石」=強さや基盤がある。成長し、変化し、自分の中の葛藤を受容すれば、強固な地盤になるということですかね。

「門」は、新たなチャンスや可能性。「泥の道」は、歩くのには苦労するけれど、あるベき自分を見つけるんだとか。「大木」は、自分が大きく成長した姿を意味し、「風呂」は、浄化やリラックスタイムを意味します。

総じて見るに、ひとつのプロセスが終わり、ひとつの学びを卒業して、自由になったけれど、そこから先も苦労する道が続く。でも自分はすでに大きく成長している。とは言え、大きなプロセスの転換点にいるので、いったんリラックスして休むことも必要……ということなんじゃないかと。ちょうど今、蟹座日食(6/13)⇨水瓶座月食(7/28)⇨獅子座日食(8/11)という、大きな星の節目にありますが、その大きな変化が来る前に、いったん休む時期なのかもしれませんね。