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ヒューマンデザイン・アナリスト 市川丈夫のBlog

「他人を支配したがる人たち」への聖なる罰

先日書いたパーソナリティ障害の記事、続きです。

6月にアメリカの臨床心理学者ジョージ・サイモンの「他人を支配したがる人たち」を読んだ時は、目から鱗が落ちた感じでした。これまで何度か厄介な人と出くわすことがあったものの、本書を読んで、その根底に相手をコントロールしたがる攻撃性がある、と分かり、なるほどあれは心の病だったかも……と納得した次第です。

あからさまな暴力・虐待はもちろん厄介ですが、本書にもあるような、良い人の振りをして相手をコントロールしたり、道徳的に相手を束縛したり、理論武装したうえでこちらの弱みを衝いてくるようなやり方は狡猾です。この攻撃を食らうと「もしかして悪いのは私なんじゃ……」と思い込んでしまうから、なお厄介。

本書ではそういったマニピュレーター(他人を支配したがる人)の行動パターンを列挙し、どのように対処すればよいかも記してあります。

ただしマニピュレーターを支配しようとすれば、逆に自分にも「他人を支配したがる心」が生まれてしまい、自分自身がマニピュレーターになる危険性もあるかと思います。そうなるとマニピュレーター同士で戦うことになり、どちらも救われないし、幸せになれないでしょうね。 

そんなマニピュレーターへの対処法のひとつとして「怒らないこと」で紹介されている「ブラフマダンダ=聖者がする罰」が有効かもしれません。これは厄介な人に対して「あなたは何を言ってもいいけれど、私はあなたとはもう話さないし、返事もしない」と宣言することで、徹底的にその人を無視するのだそうです。もちろんこれはいじめ的なシカトではなく、本人が悔い改め、謝罪するまでという限定つき。

「それが言えないから困っているんだ!」と仰る方には、自己表現=アサーションの練習が必要かもしれません。 

嫌われる勇気

嫌われる勇気

 

 このあたりアドラー心理学が説く「相手の問題を切り離す」と相通ずる部分があるなあと。マニピュレーターが抱える厄介さは、結局本人の問題であって、他人がどうこうできる問題ではない。だったらマニピュレーターを突き放し、無視し、自分は自分の幸せを追求する。 そしてマニピュレーターが自分の厄介さと向き合う勇気を持ち、援助をお願いされたら、救いの手を差し伸べる……ということで良いのかなと。

しかし自分の厄介さと向き合うことを避け、また別の人に攻撃をしかけるマニピュレーターもあり、困ったもの。無視したはずが、単なる放置となってしまう場合もあり、何か対策を講じた方が良いケースもありますね。

ただ人間、無視され、怒りやストレスを抱え、どこまで正常に生きられるのかなと。どんな人でも、無視されると意外に心身にこたえるもので、厄介な人も遂にはその状況に耐えられず許しを請うのだそうです。それができなければ、厄介なまま、いつまでも怒りやストレスを抱え、死を早めてしまうとか。

となれば厄介な人は、自分で自分の寿命を削っているわけで、これほど哀れでバカらしいこともないわけです。今度もし厄介な人に出くわしたら、ああまた可哀想な人に出会ってしまったと思い、心の中でそっと合掌しておきましょう……