昨日は午後から高円寺へ。猫雑貨専門店「猫の額」へ篠原知子さんのイラスト作品を観に行ってきました。篠原さんとは滅多にお会いしないのだけれど、お互い仕事の転機にさしかかっていたり、断捨離的なモノの整理を進めていたりと、妙にシンクロする部分がありますよねと話してきました。
篠原さんはヴィパッサナー瞑想も学ばれているそうで、仕事を変えるにしろモノを処分するにしろ、瞑想で必要とされる「執着しない」「手放す」「変化を受け容れる」ことを実践されているなあと感じました。お互い先の予定は決まっていないのに、それでも何とかなる、大きな流れを信頼しようと思えるには、結構な訓練が必要ですよねとも。
篠原さんとお別れした後は、一人新宿に出て、代々木→明治神宮→表参道とぶらぶら歩きながら、さて自分はどこへ流れていくんだろうと考えたり。
世の中、自分の意志力だけではどうにもならない大きな流れがあるものです。突然の離職や事故など、急激な変化に否応なく巻き込まれることもままあります。ただ、それもひとつの大きな流れだと気づけば、変化の波に身を任せても大丈夫だと思えるようになる。その先どうなるか分からないけれど、なんとかなるだろうと。
でもその変化に怯えてしまうと、今までのやり方に執着したり、今までの人生を手放せなくなってしまう。心身はもう変化の波に流されているのに、そんなのは嫌だと元来た上流を目指し、流れに逆らってもがいてしまう。そうした方が良いと信じこんでしまう。でも大きな流れに逆らっている以上、それはエネルギーの無駄遣いであって、結局は落ち着くところに落ち着くものだよなあ……と思ったり。
そこで自分が流れに身を任せているのか、それとも流れに逆らって生きているのか、気づくために瞑想という技法が必要なのでしょう。まあ瞑想と言っても、特に難しい顔をして結跏趺坐する必要もなく、自分の視界に自分を置いてみて、自分を観察していけば少しずつ分かるような気もします。
でも世の中には、自分を観たくない人、自分に気づきたくない人もいます。そういう人は自分の視界に他者だけを置き、ナルシスティックな世界で他者への批判ばかりを繰り返していく。私は正しいのだから私を見つめ直す必要はない、と思っている。でもそういう人も、いずれ否応なく自分を見つめなければいけない時がやってくる。そんなのは嫌だと泣き叫んでも、自分と向き合う日がやってくる。それも大きな流れだと思うのです。
ヒューマンデザインは、自分自身と運命を客観的に分析できるツールです。正直「こんな面倒な個性なんて要らない」「そういう運命は嫌だ」と感じる部分も多々あります。ただ、大きな流れを信頼するならば、どんな個性もあってOKだし、どんな運命も受け容れて大丈夫なはず。最初は面倒に思えても、最終的には「良かった」と感じるのではないでしょうか……
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