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ヒューマンデザイン・アナリスト 市川丈夫のBlog

【夢日記】緑の石、放蕩息子

http://www.flickr.com/photos/44124468899@N01/15272461

昨夜の夢。僕は電車に乗り、ドア近くに立って車窓を眺めていた。車窓からは緑の田園風景が見える。僕は心の中で「いつもは重い荷物を背負っているけど今日は荷物が少なくて楽だなあ」と思っていた。

すると背後にいた小柄な男が、僕の首をゆっくり両手で締め付けてきた。ううっ、苦しい~と思ううち、電車は駅に着き、男も下りていく。去って行く男の背中はなぜかうなだれている。僕は空いた席に座り、電車も駅を発車した。

やがて車窓から澱んだプールが見えた。浅いプールのまわりには猫が何匹もいたが、水底に一匹、ぐったりと沈んだままの猫が見えた。うわっ、死んでる!と思い、僕は咄嗟に視線を背けた。

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すると小学生ぐらいの男の子が、緑色の大きな水晶玉のついたネックレスを持ってきた。どうやら誰かの忘れ物らしいが、僕はその緑の石を見て、もしかしたら(自分の好きな)モルダバイトかもしれないと思った。でもモルダバイトは貴重な石だし、野球ボールぐらいの大きさがあったので、本物なら何百万円もするはずだ。僕はその緑の石を太陽に透かして見た。本物のモルダバイトなら、水が波打つような痕が見えるはず。けれど緑の石にそんな痕は無く、どうやら普通の水晶らしい……と思ったあたりでシーンが切り替わった。

放蕩息子の帰郷―父の家に立ち返る物語―

放蕩息子の帰郷―父の家に立ち返る物語―

 

今度は、目の前に見知らぬ親子(父親と息子)がいた。息子は「立派な大学に行くし、お父さんのために家も建てる」と言い、親の期待に応えようとしていた。

ところが父親は「そんなことよりもっと大事なことがある」「放蕩息子の方がずっと良い」と言い、僕の方を見た。もしかして放蕩息子とは僕のことなんだろうか。息子はムッとしており、まさに旧約聖書の放蕩息子の物語そのままじゃないか……と思ううち目が覚めた。05:02。

ドリームブック 夢辞典(改訂増補新版)

ドリームブック 夢辞典(改訂増補新版)

 

なんとも長くてモチーフの多い夢でしたねー。

まずよく見る「電車」は、仕事上の進路を表しています。「田園=農場」は、自分の可能性を開拓したり、収穫の刈り入れを示すとか。「緑」は癒やしや成長を意味する色なので、何かしら仕事上の恩恵がある……と良いんですけどねえ。まあ余計な「荷物」も減ったようですから、ここは気楽に。

しかし「首=喉」は、コミュニケーションや自己表現を司る部位ですから、仕事上でそういったことを邪魔されている、制限されているってことですかね。でも僕の自己表現を邪魔していた「小柄な男」=小人物?は「駅」に下りて異なる進路に進んでしまった。うなだれていたので、不本意だったのかもしれませんね。

「プール」は休息やリラックスを表す場所ですが、そこに「猫」=女性的な気質が沈んでいたというのが、なんとも意味深。

「水晶」はエネルギーの宝庫で、「緑」はやはり癒やしと成長ですから、そういったモノを手にできるのかも。貴重なモルダバイトではなかったとしても。あと「子供が忘れ物を渡しにくる」という夢を見たのも初めてではないですね。

旧約聖書の「放蕩息子」の物語は、遊びほうけて一文無しになって戻ってきた息子を、父親が喜んで出迎え歓待する話です。これもある種の、行って帰ってくる英雄神話ですが、さて僕にもそういうことがあるのでしょうか、どうなんでしょうか。

Flicker Photo by misiek_beauchamp