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ヒューマンデザイン・アナリスト 市川丈夫のBlog

【ヒューマンデザイン】勉強会:センターの痛みに共感する

Melancholy

今日も、オンラインでのヒューマンデザイン勉強会でした。今日は、基本的な9つのセンターについての話が多かったですね。

今日はまず、参加者の方からの『そもそもセンターってどう捉えればいいのでしょうか?』というご質問から始まりました。その方は、自分の定義されたセンターが、すべて意識側(パーソナリティ)にあるため、自覚できるはずなのだけれど良く分からないと仰る。まあ、他人に目が向きがちなプロジェクターさんでしたので、自分の内側はなかなか見れないのかもしれませんね。

不思議なもので、定義されている(安定している)センターほど、普段からごく自然に使えているため、あまり目を向けないかもしれません。仙骨が定義されているジェネレイターさんなら、生命力が安定していますから、普通に「週5日、9時から5時まで働いて、残業もできる」わけですし、それが当たり前だと思うし、他の人もみんなそうだろうと感じるでしょう。

しかし仙骨が未定義(安定していない)の人たちにとっては、そのようなジェネレイター的な労働はできませんし、それが自分にとって大問題になるわけです。ですから、むしろ未定義のセンターほど、悩みがちになりますし、目を向けざるを得なかったりします。

そしてセンターが定義されている人から見れば、未定義センターの悩みが理解できず、『えっ、9時5時で働けないの?それって甘えなんじゃないの?』と感じるかもしれませんが、いやいや、メカニズム的に無理な人もいるわけです。

感情の波がある人からすれば、感情の波の無い人が理解しにくく、感情が未定義の人の痛みが分かりにくいのです。つまり定義されているセンターが多いほど、他人の痛みに共感しにくいとも言えます。逆に言うと、未定義センターが多い人ほど、センター的な生き辛さに共感できるはずです。そしてその不健康さを乗り越えていくと、生き辛さを知った上での智慧になるでしょう。

そのように、パーソナリティ(意識面)とデザイン(無意識)とはまた別の意味で、自然と発揮できている力(定義)と、目を向けざるを得ない痛み(未定義)が、センターに対する感覚なのではないでしょうか。

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昨日今日とオンライン勉強会が続いたので、身体がナマってはいけないと、夕方から小一時間歩いて江戸川の河川敷へ。先月、家族が入院して以来、なかなかのんびり散歩するヒマも無く、ノード「カリスマ」期の繁忙さを体感しております……

 

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