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ヒューマンデザイン・アナリスト 市川丈夫のBlog

【ヒューマンデザイン】勉強会:自分の色眼鏡で環境を見る

Blue Sunglasses

昨日は、都内某所にてヒューマンデザインの勉強会でした。いつも22:00には布団に入るのに、緊急事態宣言も明けたということで、久しぶりに夕飯やらなんやらをご一緒して、自宅に戻ったのは23:30頃。途中、うつらうつらしながらの帰宅でした。

さて昨日は、参加者それぞれのサウスノード(人生前半の環境)、ノースノード(人生後半の環境)を見ていきました。ノードは、自分本来の個性と言うより、人生の目的を果たすための環境であり、そのために見せられるものです。日本語には「色眼鏡で見る=先入観をもって見る」という言い方がありますが、まさにノードは、その人にかけられた色眼鏡です。ですから、同じ家族、同じ学校、同じ会社にいても、その環境の見方は、人それぞれ違ってくるわけです。

たとえば、昨日ご一緒していた人たちも僕も、資格のある無しに関わらず、大きなくくりで言うと「日本のヒューマンデザイン界隈」という同じ環境にいます。しかしその見え方は一人一人違っているわけです。さらに言うと、ノード環境は逆風的に感じられるため、ある意味、不愉快に感じるのが普通です。

たとえば、ある人は『日本のヒューマンデザイン界隈は、薄っぺらくて浅い人たちばっかりだ』と見えますし、別の人は『邪気を持った人ばかりだ』と見えます。『多角的な経営に失敗した』と見える人もいますし、『仲間内のもめ事ばかりだ』と見える人もいます。『人間の優しさを無視している』と見える人もいれば『焦点が合っておらず、間違ったところに焦点を当てている』と見える人もいます。『問題を解決できない無能者ばかり』と見える人もいるわけです。

ちなみに僕の目からすると『上昇しようとして横道に逸れ、勢いを失ったあげくに、人からの信頼を無くしている』ように見えますし、そのうち誰かが『犯罪に走ったり、自殺に走ったりする』ように見えるわけです。

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しかし人生の目的を果たすために、なぜそんなネガティヴに見える環境に置かれるかというところが、ノードの面白さです。そこで、環境に現れたネガティヴに見える人たちを『それは良くない』と思い込んで、懲らしめようとか、直してやろうとする必要もありません。それはマインド(思考)的な善悪判断であり、それはそれでNot Self的な対処をすることになってしまいます。

基本的にノード環境のネガティヴさは、あくまでもそれを反面教師的に見て、学びを得るものです。たとえば、薄っぺらくて浅い人たちが目に入ったら『私は、深く学ぶぞ』と思って一生懸命勉強すればいいのです。多角経営に失敗した、と見えるなら『なるほど、ああいう風にすると多角経営に失敗するんだな』と学べるのです。もめ事ばかりの環境なら感情的な距離感が学べますし、無能者ばかりの環境なら改善策を学べるはずです。僕も、日本のヒューマンデザイン界隈を見て『なるほど、金を儲けようとして横道に逸れちゃいけないんだな、正道をまっすぐ進めばいいんだな』と学んでおります(^_^;) 

さらに言えば、薄っぺらくて浅い人たちばかりがいる環境で、自分だけが深く学んでいったら、自分だけが知識的な優位に立てます。もめ事ばかりの環境なら、自分だけはもめ事から距離を置いて、安全でいられるのです。僕自身も、邪道に逸れていった人たちが多いからこそ、その道に逸れなかった自分は、ご褒美をもらえているように感じています。結局それが、人生の目的=インカネーションクロスにつながるのです。

ある意味ヒューマンデザインは、自分らしく生きていくうちに、そのようなネガティヴな環境に置かれます。最初はそれが不愉快に感じますが、無理に対処する必要はなく、ただ学べば良いと分かると、その距離感がつかめます。僕も、自分の視界にまだ、ちらちらとネガティヴな人たちが映っていますし、それを見る必要もあるのでしょうが、どんどんそれが遠ざかり、気にならなくなっています。そしてようやく僕の近くには、邪道に逸れなかった人たちが集まり、心地よい環境が形作られています。ノード環境を学ぶことで、自分なりの世界の見え方を理解することも大切なのです。

 

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