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ヒューマンデザイン・アナリスト 市川丈夫のBlog

【読書】ロバート・ライト「なぜ今、仏教なのか」

※2022年12月13日~17日 広島・博多にてリーディング募集中です。

※12月18日~2023年1月6日まで年末年始休みとさせていただきます。

今日から12月。2022年も残すところあと1ヶ月ですね。僕ももう年内は翻訳作業をストップし、あとはレポート作りとリーディングだけ済ませる形です。

時間的にも余裕ができたので、買っておいて積んだままだった「なぜ今、仏教なのか」を読了。冒頭で、映画「マトリックス」を引き合いに出して、妄想的な人生を生き続けるか、それとも現実に目覚めるか、という選択の難しさが語られています。理屈から言えば、現実に目覚めた方が良いのでしょうが、その妄想が楽しいものであれば、それが妄想だと気づくのも困難なわけです。ヒューマンデザイン的には、マインド(思考)が「いや、これは楽しいしワクワクするから、このままで良いじゃないか」と言うのですが、実はそれが不健康なことだった、とかね。

ヒューマンデザインの創始者ラーも「楽しいことが正しいとは限らない」と言っていますが、僕自身、その言葉がとても好きなんですよね。

「楽しくて、正しい」こと、これが理想ですよね。本書で言うところの「ニルヴァーナ(涅槃)」=単なる快楽ではない、完璧な幸せや自由。ヒューマンデザイン的には「シグネチャー」=満足、平和、成功、驚きにあたるでしょうか。しかしこの状態を経験しても「こんなに楽しくて平穏に生きられて良いんだろうか?」という妄想に取り憑かれる可能性もあるわけで、そうなると、幸せを受け取れない人になってしまいます。

逆に「楽しくないし、正しくもない」、これは最悪ですし、これもわかりやすいはずですが、この最悪すらも「正しいはずだ」と思い込む可能性もあります。「人生とは苦しいものだから、私もガマンしなくちゃ」みたいな。

しかし微妙なのが「楽しいけれど、正しくない」ことです。なまじ楽しいだけに「楽しいんだから、それで良いじゃないか」と思いがちですが、たとえば薬物依存や、良くない性的パトーナーへの依存、不健康な金儲け、などもここに含まれるでしょう。そこには薬物的な快楽や、セックス的な快楽、金銭的な快楽、自己価値が高まる快楽などがあり、その楽しさを正しさだと思い込むわけですね。そしてそれが単なる妄想であると気づきたくないのです。そのまま行っちゃえ。だって楽しいんだから、と……。

一方「楽しくないけれど、正しい」こともあります。それこそ、自分が間違っていたと認めたり、楽しかったことが正しくなかったと認めるのは、あまり愉快なプロセスではないでしょう。だからこそ、それに取り組むのが嫌だったり、間違いを認めたくないと。しかし苦しくても、それは正しいことなんですよね。

瞑想や自己探求の方法はいろいろありますが、この4つの領域を明晰に区別できるかどうかがポイントかなと思っています。まあ、僕自身、本書の著者のように、正しくないと分かっていながら、つい甘い物を食べてしまうクセはありますが、せめて人生の大きな決断の時には「正しい」を基準に決断したいものです。僕の場合、自分の「正しさ」を知っているのは、権威であるエゴですので、引き続きそれを信頼して、正しい方向へ向かっていきたいと思います。

 

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