NO PLAN NOTE 

ヒューマンデザイン・アナリスト 市川丈夫のBlog

青いスペクトルの嵐の年

Twin Lightnings

13の月の暦/ドリームスペルでは、本日が新年初日。言うなれば元旦。KIN219「青いスペクトルの嵐」の年の始まりだそうです。銀河の音のキーワード「スペクトルの=溶かす、解き放つ」と、太陽の紋章の「青い嵐=自己発生、触発、エネルギー」の組み合わせが実際どのように働くのか、これから一年を通して体感してみたいと思います。

実際、今日は久しぶりに「おっ!」と感じることがあり、もしかしたら目に見えない時間の区切りを越えたのかもしれないなと思いました。僕自身、KIN55「青い電気の鷲」生まれなので、同じ「青=変容」の流れにうまく乗りたいところです。

【日常】眺めているのは現実なのか仮想なのか

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昨日は、昼前に浅草から散歩スタート。久しぶりに浅草寺にお参りし、上野、湯島、お茶の水、神保町と2時間ほど歩いて知り合いさんたちと合流。ティーハウスTAKANOでお茶会してきました。昼食がてらTAKANOで初めてサンドイッチ食べたり。

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そんな散歩中、噂のポケモンGOってる方々をあちこちでお見かけしました。僕はプレイしていませんが、仮想現実を通して現実世界を眺める、というのも面白いなあと。

しかし僕自身がバーチャル・リアリティの世界にいないからと言って、本当に現実世界を眺めていると言えるのでしょうか。浅草寺にお参りすれば御利益がある……と100%信じ込んではいないにしろ、目に見えない神様仏様がいるかもしれないと仮想してお詣りし、目に見えない惑星の影響があるかもしれないと仮想してヒューマンデザインや占星術を学び、目に見えない石の力がお守りになるかもしれないと仮想して身につけているのです。それはある意味、様々な仮想の色眼鏡をかけて、現実世界を見ているんじゃないかと。

御利益にしろ惑星の影響にしろ石の力にしろ、科学的には立証されていませんが、なんとなくそれがあるように感じながら生活し、街を歩いている。自分で自分に、仏教や神道やヒューマンデザインや占星術や石のアプリをインストールし、歩いているようなものでしょうか。その色眼鏡を通して世界を見ると、何かがあった時「御利益のおかげかな」「水星が逆行しているせいかな」「石が守ってくれたんじゃないか」と感じることもあるわけで、ポケモンGOならぬ人生GOをプレイしている感覚かもしれません。

まあ、そういった目に見えない世界は、あくまでも「本当にあるかどうかは分からないけれど、あるように感じるし、ある程度信頼する」という距離感で接するのがほど良いのでしょう。これを100%信じ込んでしまうと原理主義的になってしまいますし、ヒューマンデザインでも「これを信じる必要はない」と諭しているあたりが気に入っています。あるかもしれないと仮想して研究し、実践してみるものだと。

そう考えると、本当に危険なのは「私には現実が見えているし、私は現実を歩いている」と言いつつ、自分が作り出した、自分にとって都合の良い仮想現実を歩いている人だと思うのです。たとえばナルシスティックに「私は正しい、私は悪くない」という仮想現実を作り上げ、自己責任から現実逃避してしまう。あるいは陰謀論的な「私が酷い目に遭っているのは世の中が悪い」という仮想を基にした世界を歩いてしまう。ある意味そちらの方が、歩きスマホよりよっぽど危険なんですよ……

【夢日記】雨と血液検査

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昨夜の夢。前夜の夢と同じく、また雨が降っていた。しかし今度は傘も無ければ、靴も履いていない。困っていると、誰か女性が迎えに来てくれた。ああ良かったと安堵すると、今度は陣内智則似の男性と、もう一人別の女性が現れ「献血お願いします」「血液を検査します」と言う。僕が差し出した右腕に女性がチューブを刺し、検査機と繋いだが、特に痛くもなんともない。深呼吸してくれと言うので、ゆっくり呼吸を吐くと、検査機の風船のような部分に僕の血液が届いたのか、その球体が呼吸に合わせて伸縮し始める。女性はそれを見て「良いですね」「ここまで良い人はなかなかいませんよ」と褒めてくれて……目が覚めた。06:01。

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夢の中の「雨」は感情の浄化。でも小雨だったので、たいした痛みはないのでしょう。「傘」=感情を守るものは無かったのも、いったん「雨」に打たれなさいと。「靴」も、自分の人生の旅を守るものだそうです。守ってくれるモノは何も無かったけれど、誰かが迎えに来てくれるってことでしょうか。「血」は生命力。「右腕」はエネルギーを出す方の腕とか申しますが、自分が出している生命エネルギーが「なかなか良い」のなら、良かった良かった(^_^) 

しかし昨日に引き続き、意味深な女性がちらっと出てきたのが気になるところ。そして昨日・一昨日と、妙に眠れず、深夜に目覚めてあれこれ思いを巡らせ、寝不足になったものの、その割には元気なのです。そのあたりが「雨」=感情の浄化の現れなのかも……。

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【夢日記】雨の夜、傘をさして

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昨夜の夢。僕は、書店で立ち読みをしていた。いつの間にか閉店時間が来たので、半ばシャッターが閉められた出入り口から、背をかがめて外へ出ると、店の前では店主のおじさんが女性から道を尋ねられている。おじさんは「病院ならあっちですよ」と女性に告げていた。僕は傘をさし、雨の夜の街を歩き始めた。少し歩けば、お気に入りのラーメン屋があるから、そこで夕食を食べようと思いながら。雨風はそれなりに強く、傘もあおられたが、僕は歩き続けた。そのうち道に沿ったフェンスの向こうで騒ぐ中高生の姿が目に入ったが、気にすることなく歩くうち、目が覚めた。00:38。

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夢の中の「本」は、人生の目的、重要な学びが近づいているそうです。そこから出て「夜」=自分の未知の部分に入っていき、「雨」=感情の浄化を受けるけれど、感情があふれ出たとしても、「風」=変化があったとしても、「傘」で守られていると。「向こうが透けて見えるフェンス」=障害があっても、たいした労力はかからないそうなので、ちょっと安心。総じて見るに、あれこれあっても、自分を見失わないことが大切、ってことでしょうか。しかし「病院」=癒やしを必要としている女性とは誰なのか……

【夢日記】朝からボードゲーム観戦

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昨夜の夢。僕は朝方、なぜか八百屋さんを探して、近所の街を歩いていた。そのうち友人宅にたどりついたが、よくよく自分の姿を見ると、素っ裸なのだ。しかし友人宅には僕のタンスがあったので、すぐに自分の服を出し、身支度を調えた。

リビングに行ってみると、友人たちがボードゲームで遊んでいる。いや待てまだ早朝だぞ、みんな会社に行く前にゲームで遊んでいるのか?それはある種のエクストリーム出社なのか……と思いつつ、僕も席に着いた。でもゲームには参加せず、いったん家から出て、二軒隣にあるボードゲーム屋さんに行ってゲームを探したり、友人の娘たちとおしゃべりをするうち目が覚めた。05:50。

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まず夢の中の「朝=夜明け」は、始まり、覚醒、仕事の評価が上がることだそうです。「八百屋さん=野菜」は、収穫したもの。成果が欲しいんですかね。「裸体」は、自分をすっかりさらけ出すこと。「衣服」は、演じている役割やゲームだそうです。そして「ゲーム」は、人生のゲーム。でも参加していると言うより、観戦していただけなので、僕は傍観者なのでしょう。

なんでしょうね。誰かの人生のゲームを横から観戦するのか。あるいは「観戦者」としての席を与えられるとか。そして観戦するには、自分も「観戦者」という役割を演じる必要があるとか? 夢の中では「なにもこんな早朝からゲームで遊ばなくても……」と感じたので、傍から見ていて少し呆れるような人生のゲームなのでしょう。

山羊座満月(07:57)直前の夢だったので、何か深い意味があるのかもしれませんね。

【ヒューマンデザイン】山羊座満月、無意味な制限

reached an impasse

明日07:57に山羊座の満月。今回の満月の位置をヒューマンデザインのマンダラ(ホロスコープ)で見ると、『易経』の「水沢節(すいたくせつ)」の九二にあたります。「水沢節」は、沢に水を入れるにしても限度がある、限度を受け入れて水を止めるか、あるいは過度に制限してもいけない、という卦です。何事もほどほどが一番。

またヒューマンデザイン的にこの「制限」は、突然変異を促す力でもあります。突然変異しようとする爆発力に、あえて「制限」を加えることで、いったん力を抑え込み、さらに大きな爆発力を誘発するんですな。

しかしヒューマンデザイン的に今回の満月は、「制限になじんでしまい、制限が無くなったのに、まだ制限をキープしてしまい、突然変異できなくなる」という位置なのです。突然変異する力を抑え込んだら、エネルギーがそれに適応してしまい、制限が無くなってもまだ爆発しないっていう。言うなれば、不発ですね。

65th Ordnance Company clean up

たとえば「発破をかける」という言葉があります。相手の奮起を促すために、厳しい言葉で発破をかければ頑張るかと思ったら、相手はその厳しさを素直に受け入れ、期待したほどの成果は出なかった。だから制限をかけ続けるのもほどほどに……という位置です。

さて、あなたは誰かに「制限」をかけ過ぎてはいないでしょうか。あるいは誰かからの「制限」に馴染みすぎてはいないでしょうか。その「制限」に従っても、面白い突然変異が起きないなら、その「制限」はもはやいらないのでしょう。またはその「制限」が無意味だと悟る臨界点を迎える。そんな風にも見える、山羊座満月です。

 

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【夢日記】魚を釣り上げる

Fishing On The Rocks

昨夜の夢。僕は、プールか釣り堀のような場所で、魚を釣り上げた。結構大きなサイズで、カツオぐらいあったと思う。覚えているのはそのシーンだけ。07:19に目が覚めた。

ドリームブック 夢辞典(改訂増補新版)

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夢の中の「釣り竿」は、精神や感情が成長する手段だそうです。答えを釣り上げる、という意味だそうで。「プール」は休息やリラックス、「魚」は瞑想の必要があると。「大きな魚」はそれだけ長い瞑想が必要なんだとか。つまり精神的に成長したいなら、あれこれ考えるのではなく、リラックスしてゆっくり瞑想しなさいと。

たしかにここんとこパソコン作業ばかりで、それはそれで楽しいけれど、あまり休んではいないかも。考えごとも多かったので、たまにはぼーっと釣り糸でも垂れるように、ただ過ぎていく時間を感じるのも良いかもしれませんねえ……