NO PLAN NOTE 

作家 ヒューマンデザイン・システム認定プレアナリスト+LYDガイド 市川丈夫のBlog

東日本大震災 3/11~3/13

3月11日。地震当時は、部屋で原稿を書いていました。モニターを見ていたら、なんだか揺れるなあ、ああ地震かあ、え、え、え、えええええ……と云う感じで、家全体がぐらぐら揺れ始め、とうとう来るべき時が来たかと覚悟したものの、家屋には損害無し。

近所に外出中だった父は、あわてて帰宅。日暮里に買い物に出ていた母は、京成電車の車内で地震に遭遇。仕方なく小岩付近で降りて、てくてく1時間半後に帰ってきました。

僕は、母方の実家が岩手でして、当然親戚も多く、津波に襲われた宮古に住む叔父一家、仙台空港に勤める子が心配で刻一刻と入るニュースを眺めつつ、メールを送ってみるもほぼ不通。唯一、仙台の従姉から無事の一報を受け取ったものの、その他の地域の様子は、まったく分かりませんでした。

夜になると、帰宅できなくなった従姉妹が泊まりに来て一緒に夕飯。新宿勤務の妹は、会社に泊まってくるだろうと思いきや、再開された新宿線に乗って深夜1時半頃、帰宅しました。

3月12日。親戚と連絡がつかないまま一日が経過。

3月13日。ようやく仙台の従姉とメール連絡が回復。仙台の親戚は、全員無事。孤立中の仙台空港に勤務していると思った子は、なんと当日TDRに遊びに行った帰り、新幹線で地震に遭遇したとのこと。白河あたりのトンネルに閉じこめられ、3km歩いて避難所に行き、そこからバスで12時間かけて仙台に帰ったそうです。その仙台の従姉を介して、宮古の無事も確認。そちらも全員無事。高台の自宅も健在だそうです。

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こちらは、従弟が撮影した宮古市・鍬ヶ崎付近の写真です。宮古の叔母は海岸沿いで美容院を営んでいるのですが、さすがにそちらは津波に襲われたものの、1階のみ浸水したそうで、従弟からは「どうにか復旧できるかも」とメールが来ました。夜になって、母親の実家がある紫波からも無事の連絡が来て、ようやく岩手・宮城の親戚全員の無事が確認され、みな安心しました。

もっとも被災地では、親戚含めて大勢の方が不自由な暮らしを強いられ、あるいはまだ孤立して、救援を求めている最中かと思います。勿論、行方不明の方も多く、被災された皆様の御無事を祈るばかりです。

そして僕の住む市川市でも、本日から輪番停電が実施されるそうです。自宅デスクトップPCで原稿書く身としては仕事にならない状況ですが、どうにか対策を講じて、原稿仕上げる所存です。そんなこんなで、落ち着かない状況が続いていますが、何卒宜しくお願いいたします。