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ヒューマンデザイン・システム 認定LYDガイド+アソシエイト 市川丈夫のBlog

【ヒューマンデザイン】「The Love Series」

ヒューマンデザイン ヒューマンデザイン書籍

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「What is Love ? (愛とはなにか?)」Jovian Archive

Jovian Archiveの無料記事「What is Love ? (愛とはなにか?)」を訳していたら、聞き慣れない「超越的な愛のゲート」「世俗的な愛のゲート」という言葉に出くわしました。ヒューマンデザインでは、易の64卦に対応する64のゲートという個性があり、そのうち幾つかを「愛のゲート」と呼ぶのは知っていました。ただ、この記事を読むと、その4つは、人間離れした超越的な愛(人類愛とか宇宙愛)のゲートであると。僕らが普段の生活で感じるような愛は、世俗的な愛のゲートに属しているのだと初めて知りました。

そして2人の人間が「世俗的な愛のゲート」で結ばれた場合、「この人しかいない!」というような愛情を感じたり、逆にものすごく憎んでしまうのだとか。僕自身もこの「世俗的な愛のゲート」を持っているため、なるほど道理で……と納得する経験があったり。

この愛のゲート情報、パートナーシップ・リーディングにも活かせそうだし、もっと詳しく読める資料はありませんかねえ……と勉強仲間に相談したところ、「Love Book」なる資料をご紹介いただいたうえ、その内容が含まれた「The Love Series」なる資料も見せていただきました。おー、ありがたや。

もっとも、先に読まなきゃならん資料が山積みなので、こちらに着手するのは、まだかなと。それにしても、必要な資料が着々と揃ってきてる感がありますね。

「Love Book」については、Human Design Americaサイトでも購入できます。

【ヒューマンデザイン】虹色つむぎさんのタイプ別イラスト

ヒューマンデザイン

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昨日は、広島でヒューマンデザインの活動をされている虹色つむぎ@nijiirotsumugi さんこと、加藤ひさこさんが上京されていたので、都内でお昼をご一緒してきました。

加藤さんとは、2013年のベーシック・コースでご一緒して以来なので、ほぼ3年ぶり。お互い近況報告なぞしつつ、お土産にもみじ饅頭を頂いたうえ、加藤さん作のヒューマンデザインのタイプ別イラスト4枚も頂戴しました。

で、一番手前の赤いイラストが、世の中の70%を占める「働き者」というのは、すぐに分かったんですよ。「働き者」は、やはりエネルギッシュなイメージですから。

ただ、一番左の黄色いイラストが、9%の「王様・女王様」(僕もです)とは、意外でした。でも指図する手は、たしかに命令して、物事を動かすタイプですね。

真ん中の青いイラストは、20%の「ガイド役」だそうです。まっすぐこちらを見つめてくるあたり、相手にフォーカスする「ガイド役」らしさを感じます。

そして一番右が、残り「1%」の特別な方たちとのこと。あらゆる色であり、どの色でもない、という変幻自在さ、つかみ所のなさは、いかにも「1%」っぽいなあと。

今回イラストを拝見して、なるほどこんな見方もあるのか、こうしてヒューマンデザインも表現できるのか……と勉強にもなりました。僕は文章専門ですが、むしろ画像の方がヒューマンデザインを理解しやすい、という方もいらっしゃるでしょうね。

加藤さんのサイトでは、他にもイラスト等ご販売されていますので、ご興味のある方はこちらからどうぞー。

【夢日記】京都で迷子、別離、神社の学生たち

夢日記

Kyoto / Dec, 11 / 008

ヒューマンデザインの卒論をほぼ書き終えたせいか、ここ3日ほど、くたくたに疲れて寝てばかりいた。そんな中、あれこれと夢を見たので、まとめて記録。

9月22日午前中の夢。僕は、京都のカフェにいた。そろそろヒューマンデザインの授業に出なければと思い、街へ出たが、今どこにいるのか、会場がどこなのか、さっぱり分からない。まあ遅刻してもいいやと思いつつ、なぜかホテルに入ると結婚式に遭遇した。そしてロビーに座り、ノートPCを開いて会場を調べようとすると、肝心のサイトが閉鎖されている。ああここまで邪魔が入るなら、もう授業には出なくていいんだな……と思ううち目が覚めた。11:32。

まあ実際、卒論を書き終えれば、もうあまり授業に出ることもないだろうし、出なくていい時期に入るのでしょう。これから先は、山のような英文資料を訳しつつ、隠者のように引き籠もって自給自足的な勉強をしましょうか。

Bar Friends

9月23日の夢。僕は、友人たちと立ち飲み式のバーにいた。すると友人が「〇〇さんと✕✕さん、別れたってさ」と言う。僕は、その男女2人がいずれ別れると思っていたので「やっぱりなあ……」としみじみ思った。07:13。

ここで名前が出てきた「〇〇さんと✕✕さん」は、本当に知り合いのカップルです。ただし今もなお、つきあっているかどうかは微妙で、僕自身、本当にいずれ別れるだろうと思っていたりします。実際どうなのか、確かめるほど興味は無いのですが……

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昨夜の夢。僕は、プロ野球選手という設定だった。なぜか電車の中に、僕を含めた3人の選手が呼ばれ、年俸査定が始まった。どうやら僕ら3人が、この球団で一番働きが良かったらしい。しかし僕は、1:2のトレードに出されるようだ。まあいいか、と思ううち、僕は自転車に乗って神社に向かっていた。神社には、体育会系と写真部らしき学生が沢山いる。そこで何か式が執り行われようとして……目が覚めた。02:59。

夢の中の「電車」は、仕事上の進路を意味します。ある程度、仕事で結果は出したけれど、ここからまた別の道に進むって感じですかね。その方が「自転車」=バランス良く「神社」=聖なる場所へ行けると。学生がわらわらいたってことは、入学式でも始まるのでしょうか。僕も学生の一人なのか、それとも彼ら学生を教える教師なのか……いずれの夢も分岐点っぽい感じでしたね。

【ヒューマンデザイン】あれから3.5年 (公式)

The Journey

そう言えば、すっかり忘れていたけれど、2013年3月にヒューマンデザインの基礎講座LYD(リビング・ユア・デザイン)を受講してから3.5年が経ちました。ヒューマンデザインでは、他人からの影響(条件付け)を落とし、本来の自分に戻るには7年間かかるとしています。そのため、その7年プロセスの前半たる3.5年間は、条件付けを落とすことに集中しなさいともしています。ヒューマンデザインを学ぶのは面白く、どんどん先へ進みたいのですが、そうすると条件付けを落とすことから逸れてしまうので、あえてフル・リーディングも「LYD受講から3.5年経過しないと不可」になっています。他人様をリーディングしてあーだこーだ言う前に、まずは自分を見つめろよってことですね。

となると、LYDから3.5年経ったことで、僕も少しは条件付けが落ちたのかもしれませんが、目に見える実証が無いため、自分で断言できるものではありません。また「正しく7年プロセスに入らなければ、そのプロセスから正しく出られない」とも言われており、自動的に条件付けが落ちるとも限りません。

それでも3.5年前の自分とはずいぶん変わりましたし、ひとつの節目を迎えた感はありますね。いろいろあったけど、よくまあここまで来たなあと。3.5年と言えば、大学に入って卒業するぐらいの期間ですが、ちょうど今、国際認定アナリストになるための課題レポートを書いているので、卒論を書いているようなものですね。本当にアナリストに合格したら、それこそ、ひとつの学びの段階を卒業するのでしょう。

Journey

ところが創始者ラーの言葉を紐解くと「人間は7年かけて条件付けを落とし、さらに次の7年間で自分に何ができるか、その可能性に気づく」のだそうです。つまり3.5年とは、7年✕2=14年プロセスの1/4に達しただけのようです。そう考えると「起承転結」の「起」が終わっただけで、まだまだ学びは続くし、死ぬまで学びだなあと。

さてここからの3.5年、「起承転結」の「承」が終わるのは、2020年3月です。この期間には、今いる屋根から下りて社会へ再び出て行くタイミングの、小惑星キロン・リターンもあり、自分にとって重要な時期だと感じています。もっと大きな視点で考えると、14年プロセスが終わる2027年は、ヒューマンデザインにとっても節目の年です。その2027年までに14年プロセスを終わらせるには、2013年にプロセスを始めていなければならなかった。そう考えると、良いタイミングで始めたなあとも思います。偶然のようで、偶然じゃない感じですね。

とりあえずアナリストの肩書きを受け取ったら、3.5年プロセスを卒業したものとして、次は世の中に出ていく準備ですね。どこに出ていくかは、さっぱり未知数ですが……

【ヒューマンデザイン】自分が置かれた場所を知る

読書 ヒューマンデザイン

今日は雨の中、南船橋・新浦安とぶらつき、コメダ珈琲店で休憩。たっぷりブレンドコーヒー飲みつつ「辺境生物はすごい!」を読み通してきました。

本書では、著者の長沼氏が、極地や深海など辺境に暮らす生物を語りつつ、過酷な環境で人間が生き抜くことにも触れています。過酷と言っても暑い寒いではなく、不遇な時期や望まぬ状況など、人生の過酷さであるのが面白いところ。そのような状況を「めんどくさっ」と嘆きつつも「世界にはかなわない」として適応していくあたり、達者な人生論として楽しめました。

この「世界にはかなわないのだからジタバタするな」という観点は、ヒューマンデザインが言う「自分が乗っている自動車のハンドルを握るな」に通じるなあと。辺境生物も、過酷な環境をコントロールしようとはせず、滅びなければいい、生き残ればいいという状態にあるそうです。人生も勝負をする必要はなく、誰かに打ち勝つ必要もない。その境地に至ると、人生も楽になりますわな。

Wasteland

ヒューマンデザインでは、自分が人生で出会う環境が導き出されます。それはまさに過酷な環境で、あたかも逆風のように感じるとも言われています。ただ、その逆風に打ち勝つことが目的ではありません。やはり辺境生物のように、その環境に身をゆだね、適応すればいい。負けなければいい。ただ、受け入れる必要はある。逃げちゃだめだ。逃げちゃだめだ。逃げちゃだめだ。置かれた場所で咲きなさい……という感じですかね。

ということで、自分が置かれた場所がどんな場所なのか、知ってみたい方は、是非ヒューマンデザインのリーディングをどうぞ……

・リーディング等、ご希望の日時・場所についてのご相談は、

 お気軽にtakeo.ichikawa@gmail.com へご連絡ください。

置かれた場所で咲きなさい

置かれた場所で咲きなさい

 

【夢日記】犯人捜しはやめておこう

夢日記

spying

昨夜の夢。舞台は、中国だった。僕は友人たちとカラオケだかボーリングだかで遊び、それから学校へ行くところだった。「楽しい時間はすぐに終わるなあ」などと言いつつ、集合場所に集まると、そこへスパイのような人物が現れ、友人(日本人と中国人)を銃で撃って逃げたのだ。僕たちは、犯人を捜そうと捜査を始めた。しかし、なかなか犯人は見つからず、僕たちは露店で餃子など食べつつ、これからどうしようかと相談するうち、目が覚めた。07:30。

ドリームブック 夢辞典(改訂増補新版)

ドリームブック 夢辞典(改訂増補新版)

 

「中国=外国」は、自分の新しい側面が現れる場所。そこで楽しく過ごしていたのに「スパイ」=自分の成長には関心が無く、他人に関心を持って見ているだけの人に襲われた。「銃で撃たれる」は、身体に穴が開き、エネルギーが漏れる状態だそうです。

僕たちは、お互い成長できる場所で楽しくやっていた。ところが自分の成長に関心が無い奴が、僕らを妬み、そのエネルギーを奪うため銃を撃ってきた、ってことですかね。しかし犯人捜しをするよりは、餃子でも食べてエネルギー回復した方がいいよと。

実際、世の中にも、ケチをつけたがる人がいます。そういった人に限って、自分のことがおざなりになっているものですが、それを修正しようとしてもムダであると。他人のことはどうにもできないし、恨んでも仕方ない。腐ったものにエネルギーを注ぐより、失われた自分のエネルギー回復に努めなさいということでしょう。

ヒューマンデザインで見ても、僕は「腐ったものは、腐りきって死ぬまで放置する」のが自分ルールになっているので、それともシンクロしてる気がしますね。いったん死ぬところまで行かないと、再生もできませんしね……

「感情力」「スティグマの社会学」

読書
感情力―自分をコントロールできる人できない人

感情力―自分をコントロールできる人できない人

 

前回触れた 「映画やドラマ等で、他人が失敗するシーンを観るのが辛い問題」を掘り下げるため、ルロール&アンドレ著「感情力」の「羞恥」の章を読んでみました。こちらでは主に、所属する集団に対し、自分が基準に達していないのでは?自分は規格外なのでは?という「気にしい」的な羞恥が語られています。なるほどその視点から考えると「他人が失敗するのを観るのが辛い」と言うより「失敗して周囲から責められる・笑われるのが辛い問題」なのかもしれませんね。

となると、集団への帰属意識が強いほど、恥ずかしさを感じるのでしょう。集団に属し、お互い似た感覚を共有できる心地良さはあるけれど、集団の空気を読み過ぎたり、仲間と自分を比較し過ぎてしまい、集団からの逸脱を恐れるとかね。

逆に、あまりその感覚が無い人は、集団への帰属意識が薄く、他者と比較することもしないのでしょう。僕自身も、どこかのグループに帰属している意識は無く、属していたとしても「人は人、俺は俺」感覚が強いのかもしれません。むしろ集団の平均的範疇に収まるよりは、トガってなんぼだと。もちろんトガることがすべて良いとも限りませんが、自然にそちら寄りを選択したのでしょう。

スティグマの社会学―烙印を押されたアイデンティティ

スティグマの社会学―烙印を押されたアイデンティティ

 

1317夜『スティグマの社会学』アーヴィング・ゴッフマン|松岡正剛の千夜千冊

その「感情力」の中で参考に挙げられていた、ゴッフマン著「スティグマ社会学」 も再読中です。失敗を、文字通り聖痕(スティグマ)と見なすか、それとも恥ずべき傷と見なすかも、所属する集団に左右されると。寛容な集団なら、失敗を笑うこともなく「一度失敗したなら、次はもっとうまくやれるさ」と勇気づけてくれるでしょう。あるいは「よくぞ失敗してくれた。お前の失敗のおかげでその道はだめだと俺たちにも分かった。ありがとう」と讃えてくれるかもしれません。

逆に不寛容な集団であれば「俺たちは完璧なエリート集団だ。だがお前はしくじった。能無しはこの集団には必要ない」と罵るでしょう。それが嫌だから失敗したくない。自分も完璧なエリート集団の一員でいたい。集団依存みたいなものですかね。そして自分のトガった個性を殺すことでもあり、完璧な自分への幻想でもあると。

本来「あれは下手だけど、これは得意」というのが個性なわけです。しかし「下手」な部分にフタをして、見ないようにし、「得意」だけに意識を向けるのもどうなんでしょうか。まあ、たとえフタをしても、いつかどこかで「下手」な部分が露わになって失敗するわけですから、自分の「失敗の可能性」に向き合うなら早い方が良いかなと思います。年を取るにつれ、軌道修正も治療も大変になりますからね……