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ヒューマンデザイン・アナリスト 市川丈夫のBlog

【ヒューマンデザイン】小惑星キロン・リターン(49歳の転機)の7年間を振り返る

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先日、北千住へリーディングに行く前に、丸の内をぶらぶらしておりました。ちょうど日暮れ時で、東京駅前にはウェディングフォトを撮るカップルが10組近くいましたかね。この前日には、僕自身の49歳の転機=人生の本番である小惑星キロン・リターンからジャスト3.5年が経ちました。ヒューマンデザインでは、7年間でひとつのプロセスが終わるとしているので、キロン・リターン前後の7年間プロセスが終わったことになります。今日は、丸の内の夜景写真と共に、この7年間を振り返ってみたいと思います。

プロファイル6番ラインは、29歳までは試行錯誤を続け、29歳以降は人生の屋根に上がって客観的な智慧を身につけ、50歳前後で屋根から下り、人生の本番を迎えると言われています。しかしその50歳まで保たずに若死にしたり、屋根から下りるのに失敗すると人生がクラッシュするとも言われています。僕自身、プロファイル6/2であり、ジャスト・キロン・リターンは、49歳の2018年4月24日でした。その日付から3.5年経ちましたが、とりあえず若死にすることもなく、心身共に健康であり、仕事も順調に進んでおります。何よりマニフェスターとして、誰にも邪魔されずに好きな仕事をして「平和」を感じております。まあ、これから先も油断はできませんが、一応、キロン前後の7年間は、ある程度やりきったかなと。今さら『いや、お前は人生の屋根から下りていない』とか言われても困るなあ。

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僕にとって「人生の屋根から下りる」とは、簡単に言うと「小説を書く仕事を辞めて、ヒューマンデザインのアナリストになった」ということですね。6番ラインは、屋根の上の30代~40代で一種の権威になるけれど、それを捨てて、屋根から下りると言われています。僕にとっては、作家時代が屋根の上の時期だったわけです。そしてキロン・リターンを過ぎたタイミングでアナリストの申請を出し、2018年8月には認定が下りました。

これは完全に確信犯的にやりました。アナリストになるための必須講座は2016年中にはすべて受講していて、そこから(僕以外の受講者も全員)1年以上、認定が先延ばしにされていました。しかし焦らず『だったらキロン・リターンが過ぎてからアナリストになればいい』『その手前でアナリストになってしまったら、屋根から下りる時にそれを手放さなければならない』と思ったので、あえて先延ばしを受け容れた形です。まあ、プロファイル6/2は、6番ラインが自覚的ですから、自分でも意識して屋根から下りたと。

そしてキロンリターン以前は、リーディング依頼も月1~2回でしたが、アナリストに認定されてからは週1になり、週2になりと、どんどん依頼が増え、今では(誠に申し訳ありませんが)2~3ヶ月お待ち頂く形になっております。ヒューマンデザインだけで生活できるなんて想像もしていなかったし、まさに人生の本番ですよ。

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しかしキロンリターンから先、順風満帆だったかと言えばそんなことはなく、キロンのテーマである「予期せぬお世話」に奔走した感じです。僕も2018年頃までは、それまで通り、ヒューマンデザインの英文テキストを翻訳して、それを組合を通じて他の方々にもご提供する……という活動形態を想像していたのですが、同じく2018年に組織が大きく突然変異し、環境が激変してしまいました。それに適応するように、特別講義は諦め、基礎講座も手放し、今の形(リーディング+翻訳+勉強会)に落ち着きました。やれやれ。

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その組織的・環境的な変化も、今から振り返ると、キロン・リターン前後の7年間が無意識に始まった、2014年7月末から兆候(サイン)は現れていたのです。僕をヒューマンデザインに導いてくれた2本のブレスレットが続けてちぎれた夏……あれがその後の7年間の激変を表していたんですねえ。

そしてその数日前には、ヒューマンデザインの国際資格であるLYDガイドの認定講座も済ませていたわけです。すでにPTL(プロフェッショナル・トレーニング)1も受けていましたし、アナリストへの道筋は付けていたんだなあと。

と同時に、組織内で『ヒューマンデザイン用語をネット上に発信するな』というお達しが出たのもこの頃です。それが2018年には例のなんちゃらカードとなり、さらに権利トラブルに発展しましたから、「予期せぬお世話」の下地も2014年には始まっていたと。

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そしてキロン・リターンの7年間が意識的に始まる2014年10月末には、もう作家仕事から離れる決意をしたり、父親の「予期せぬお世話」で富士吉田まで行きました。そうやって振り返ると、我ながらホントにきっちり転機に合わせて決断していたんですねえ。

まあ、ヒューマンデザインを学ぶ6番ラインとしては、このキロン・リターンという7年間を意識して通過できたことは、得がたい経験だったなあと感じています。もちろん、キロンの影響は死ぬまで続きますから、まだまだ「予期せぬお世話」も続くのでしょう。キロン・リターンから7年間という数え方だって出来るわけですから、今から3.5年後、2025年4月24日あたりまでに、また別の着地点に行くのかもしれません。これから先、誰を、どんな形で「お世話」するのか、それも想定外なのでしょう。それまで「若死に」しないように、気をつけませんとね。

とりあえず今は、7年間お疲れ様、自分、という感じです(^_^;)

 

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